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日本創新党と「新しい歴史教科書をつくる会」教科書

Update: 2010-04-20

2010年 ( H22 ) 年4月18日に設立された 日本創新党 が設立されました。中心メンバーの山田宏氏と中田宏氏は、それぞれ、東京都杉並区区長(現職)、神奈川県横浜市長(前職)です。偶然なのかどうか、杉並区と横浜市は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)の教科書を採択した自治体です。「つくる会」の Webサイトに掲載された 採用実績一覧 を見ていただければ、とても希少な自治体であることがわかります。

日本創新党は、「私たちの政策指針」の2番目に「教育を豊かにする!」を挙げています。その他の理念を示す文章でも、「歴史」「誇り」「文明」などの言葉が何度も出てきます。これは、例えば、教育や福祉を地方でやるべきこととしてあまり具体的な政策を提示しない みんなの党 と比べると、ずいぶん雰囲気が違います。

これらのことが気になって「つくる会」についての情報をWeb上で調べようとしたのですが、2006年前後の内紛の影響か、細切れの情報が多いです。また、 Wikipedia の関連する項目も荒らされているものが多いです。次のサイトや、ブログ等に掲載された過去の新聞記事のコピーなどを頼りに、経緯をまとめてみました。

なお、年号を使用している資料が多いため、この記事では西暦と年号を併記します。

  1. 「つくる会」の理念

「新しい歴史教科書をつくる会」は1996年 ( H8 ) 12月2日に「創設にあたっての声明」を発表し、1997年 ( H9 ) 1月30日に設立総会を開催しています。「声明」ではその極端なナショナリズムに基づく歴史観を、「日本人は戦後五十年間、世界を二分した米ソ二超大国の歴史観をあいまいに国内に共存させてきた。歴史教科書の記述はこの二つの混交の良い一例である。」「ことに幼いナショナリズムを卒業しているわが国と、いま丁度初期ナショナリズムの爆発期を迎えている近隣アジア諸国とが歴史認識で相互に歩み寄るとしたら、わが国の屈服という結果をもたらすほかはないだろう。」と披露しています。

その後、フジサンケイグループの扶桑社から中学の歴史と公民の教科書を刊行します。2006年に一部のメンバーが抜けて日本教育再生機構を設立した後、扶桑社は日本教育再生機構の方の編集による教科書の刊行を継続し、「つくる会」の方は発行元を自由社に変更しています。

  1. 略年表

以下、関連する事象を時系列で並べました。また、中田宏氏が任期途中で市長を辞任した横浜市については、教育委員の任命の時期も調べてみました。杉並区と横浜市の「つくる会」教科書の採用は、いずれも山田宏氏と中田宏氏の施政のもとで行われたことがわかります。

1999年 ( H11 )

2001年 ( H13 )

2002年 ( H14 )

2004年 ( H16 )

2005年 ( H17 )

2009年 ( H21 )

横浜市の現職の教育委員着任時期(横浜市のWebページより)

3. 山田宏氏の「基本的な哲学」

山田宏氏の公式サイトに、『正論』2009年 ( H21 ) 4月号の記事が転載されています。

http://www.yamadahiroshi.com/pickup02.shtml
対談:漂流日本、究極の選択・麻生自民への落胆、小沢民主への不安

その中で次のように述べています。

私は、国家観や歴史観など基本的な哲学は、新しい政治を生み出すためには譲れない一線だと思っています。端的に言えば、我が国の長い歴史と祖先の苦労を肯定できない人、『日本よい国』と素直に言えない人とは、一緒にやっていけないのではないか。

残念ながら戦後の日本人は、いわゆる東京裁判史観によって自国を悪い国だと思い込まされてきました。

「自虐」などの言葉は使われていませんが、「つくる会」に似た考え方です。さらに、山田宏氏の政治に対するスタンスは、一定の政策を掲げるにとどまらないイデオロギッシュなものです。「基本的な哲学」が合わない人とは「一緒にやっていけない」とまで言っています。

もう一つ、山田宏氏の公式サイトに、『Japanist』創刊号の記事が転載されています。

http://www.yamadahiroshi.com/pickup03_1.shtml
「日本よい国」構想は、国家百年の計 -1-

そこでインタビューに答えて、京都大学法学部に入学して三ヶ月後に、

この憲法は敗戦という革命によってできたものだとか明治憲法との断絶などと、まるで幻想のような話ばかり聞かされたのです。その時、虚実に基づいているものを学ぶ必要があるのか、と疑問に思い、一気に興味を失いました。

と述べています。現在の日本国憲法に対して価値を認めないとのことです。このような考え方は、私の言葉では「反動」と呼びます。

4. 中田宏氏の場合

中田宏氏は2009年 ( H21 ) 11月15日から msn 産経ニュースに連載されている【週刊・中田宏】でさまざまな問題について意見を述べています。それらの記事や、公式サイトの記事を見る限り、山田宏氏のような国家間や歴史観についての明確な言及はありません。

補足 A. 山田区政による市民運動の攻撃

喜八ログ 「日本創新党」党首・山田宏東京都杉並区長

杉並区の市民団体「すぎなみオンブズ」が住民監査請求をしたら住所や氏名を公開されプライバシーを侵害された事件について紹介されています。

補足 B. 横浜市の教育委員の選任はいいかげん?

横浜市議会議員 和田たくお氏(旭区 公明党)のブログ ( 2005年 ) より全文引用

この記事は 義家弘介研究会 のページで知りました。

ヤンキー先生、教育委員になる。(3月29日)

ヤンキー先生こと義家弘介氏が、横浜市教育委員会の教育委員に選任された。横浜市議会が中田市長の教育委員の選任に対して全会一致で同意の議決を行ったからだ。 しかし、ヤンキー先生について私を含め議員は良く知らない。なぜヤンキー先生と称せられているのか詳しいことも知らない。 任命の同意を求めるにあたって市長から議会へ提出された資料に掲載されている経歴は、たったの三行に過ぎない。何もわからずに、市長を信用して同意をしたというのが実情だ。 33歳では若すぎるのではないか?高校の教員の経験しかないが、小学校・中学校の教育がわかるのか?などの疑問がわいたが、不同意とする決定的な情報はない。 横浜の教育を混乱させる危険性もあるが、逆に、何か変革するかもしれないという理由のない曖昧な期待と教育委員にしたいという市長を信用して同意をした。 今議会ではあと二人の教育委員の任命同意をした。一人は再任のため議員も良くわかっている人物なので問題はないが、もう一人は昭和35年から30年間という長い中学校教職歴を持つ67歳の男性の方だ。この方が教員をやっていた時代と子供を囲む状況は大きく変わっている。杞憂に過ぎないかもしれないが、昔の学校現場の感覚で教育を論じられても困る。 議会として市長が提案した教育委員の任命に対して同意をしたが、この教育委員たちがどのような教育論を持っているのか、横浜の教育をどのようにしたいのか、そのために何をやろうとしているのか、議員は誰一人として知らない。 大事な未来を託す横浜の教育を左右する教育委員の選任の議会同意のあり方について、根本的に考え直すべきではないだろうか。

ちなみに、義家弘介氏は、2007年に自民党から参議院議員選挙に立候補するために教育委員を退職しています。